廣瀬智紀を廣瀬智紀と呼ぶ理由
大抵の人は愛称、または名前になにかしらの敬称を付けて呼ぶだろう。それが苗字であるなら心的距離は遠く、名前や愛称であるなら近いだろう。「くん」をつけていたら若くてかわいらしい少年のようなイメージ、「ちゃん」をつけていたらまるで女の子のような愛らしさをもっているイメージ、「さん」なら落ち着いている年上の男性のようなイメージだろうか。その対象の俳優のイメージによって呼び方を変えている人は多いだろう。私も大抵の俳優に関してはそうしている。佐奈宏紀なら「佐奈ちゃん」、本田礼生なら「れおくん」というような具合に。
しかし廣瀬智紀に対しては絶対にそのような敬称はつけない。また、廣瀬智紀には「ちゃんとも」という愛称があるがそれも絶対に使うことはない。その理由を自分なりに考えてみた。3つの理由が思いついた。
1. ちゃんともという愛称が気安すぎること
まず愛称、ちゃんともは少し軽すぎるのではないか。廣瀬智紀はそんなに気軽にスナック感覚で名前を呼んではいけない存在なのではないかと考えた。廣瀬智紀の名前を呼ぶ時はいつでも覚悟を決めて、「畏れ多くも呼ばせていただく。」という気持ちを持たなければならないのだ。
2. 廣瀬智紀のイメージがわからないこと
上で述べたように、敬称や愛称にはそれぞれイメージがある。しかし廣瀬智紀にはありとあらゆるイメージがある。かわいい廣瀬智紀、かっこいい廣瀬智紀、セクシーな廣瀬智紀、キュートな廣瀬智紀、美しい廣瀬智紀、などイメージが多様すぎるあまりに敬称や愛称を定めることができないのだ。
《参考画像》
↑廣瀬智紀さん
↑廣瀬智紀様
↑廣瀬智紀くん
↑美の女神
↑ともき
3.イメージを固定化したくない
2で述べたように廣瀬智紀はイメージが多様なために呼び名を定めることができない。
そんな中呼び名を決めてしまうと、イメージの多様性を制限することになる。それを恐れているのかもしれない。
そんなわけで私は廣瀬智紀のことを廣瀬智紀と呼びます。決してなにも考えず呼び捨てにしているわけではないということをわかってもらいたいです。おわり。